歴史と沿革

徳島の眼科医の歴史

徳島県眼科医会の元会長 福島 義一先生(故人)によると、徳島の眼科医療は、1799年(寛永11年)阿波国(現:徳島市常三島町)に生まれた高 良斎(こう りょうさい、-1846年)から始まります。

高 良斎は、シーボルトに師事し、日本最古の眼科書「耳眼祥説」「和蘭銀海秘録」を書いたことで知られています。これにはすでに白内障の手術についての記載があります。

1831年(天保2年)シーボルト事件のため、一時的に故郷の徳島に帰った高 良斎が、眼の手術を行った記録が残っています。

 

また、幕末の頃、阿波藩医だった関 寛斎(せき かんさい、1830年-1912年)は、明治2年に徳島藩立医学校の教授となりました。明治6年には徳島市で医院を開業し、その後30年間にわたり徳島の地域医療のために尽力しました。関 寛斎の功績を讃えた石碑が、徳島市の助任川沿いにある親水公園に現存します。また、石を削り、義眼を作成した記録も残っています。

 

さらに徳島県板野生まれの井上 達也(1848年-1895年)は、明治14年に東京医学校教授嘱託(眼科)となりました。つまり、日本人最初の眼科学の教授として日本医学史に名を残しています。

 

その後も、盛 新之助(1884年-1974年)京都大学教授をはじめ、多くの眼科学の指導者を輩出しています。

 

徳島県眼科医会の歴史

徳島県眼科医会は、昭和8年に、住友次郎先生を初代会長として発足しています。

しかし残念ながら、その後の経過については記録が残っていません。

戦争による中断がありましたが、昭和23年4月に再開し、以後その歴史を刻んでいます。

歴代会長と就任期間は次のとおりです。

この間、徳島アイバンクの設立や徳島眼科集談会(現在は徳島大学に移管)の創設などを行っています。

 

徳島県眼科医会 歴代会長と就任期間

住友 次郎   昭和8年 ~

  《  中 断  》

井上 東周   昭和23年4月    ~ 昭和31年4月20日

山田 金吾   昭和31年4月21日 ~ 昭和35年3月19日

布村 晴雄   昭和35年3月20日 ~ 昭和37年8月2日

福島 義一   昭和37年8月3日   ~ 平成4年3月31日

鎌田 一一   平成4年4月1日   ~ 平成13年3月31日

布村  元   平成13年4月1日   ~ 平成19年3月31日

山根 伸太   平成19年4月1日   ~ 平成27年3月31日

盛  隆興   平成27年4月1日   ~